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花咲か婆さん

「先生、私、幸せ。。。」

この言葉に出会える日が来ました。

茶道稽古の見学に来られた60代後半のご婦人は、お目にかかった当時から聡明な雰囲気が漂う方で、実際にお稽古に通われるといつも予習をして準備万端に来られていました。

段々と距離が近くなってくると、彼女とこれまでの人生を語るようになりました。若い時は会社の経営者側にいて幾多の苦い思い、体調悪化で杖に頼るような暮らしも経験し、失意の底で「一体、自分の人生は何のためにあるのだろうか。このままでは終われない」と自らを奮い立たせていたそうです。 その転機は、再婚と茶道の入門だと聞かせてくれました。 「先生、これからの人生は主人と手を取り合い、老いていく体を互いに助け合って生きていきます。私には実子が居ないものですから、近所のお子さんたちにお茶の点て方などをお伝えすることができたらうれしいです。子供たちの心に“お茶の花”を咲かせる、花咲か婆さんになろう! それが夢になりました」

 「ご主人様との出逢いは、これまで真面目に生きて来られたご褒美ですね。花咲か婆さん、いいですね!!とても素敵です」 と、喜びを分かち合いました。

 それからも熱心にお稽古に通っておられ、「いつになったら花咲か婆さんになるのだろうか」と思っていました。

 すると「先生、お茶は奥が深くて~、稽古をすればするほど、私がお茶を教えるなんて、とんでもないと思っています。主人にも、花咲か婆さんになるんじゃなかったの?と言われるのですが、まだまだ怖いです・・・」

 「そうですか、いいじゃないですか、きっと花咲か婆さんになる時が来ますよ!」と言ってから数年の月日が流れていました。

稽古は順調に一歩一歩丁寧に進んでおられ、茶花を生ける会や灰型を学ぶ単発の会にも出席され、一歩一歩手ごたえを持たれているご様子でした。

ある時、「先生! マンションの近隣のご家族が先日、うちに遊びに来られて、お茶を点てて差し上げたら、そのことをママ友たちにお話しされたようで、これから小学生のお嬢さんたちと若いママ達にお茶の点て方、お菓子やお茶の召し上がり方をお伝えすることになりました」

  「それはよかったですね!!! 花咲か婆さんの誕生ですね!!!」

  それからまた、時が経ち、私はそのことを忘れていた頃に、彼女から長文のメールが届いていました。

幼い子供たちが一碗のお茶を点てることに集中した姿、目の前に居るお母さまやお友達によいものを届けようとする真心は、人の心を動かすものですね。参加された皆さんの満面の笑みが咲き誇る写真からもよい場だったことが伝わってきました。

この真心の場から仮に熱心に茶道を深めたいと子供たちが思うかもしれません。その時は専門性のある場へ導いて差し上げればいいことで、一人でなんでも抱え込むことなく大らかに取り組めばいいのではないでしょうか。

メールの報告から数日後のお稽古でお目にかかり、「花咲か婆さん、おめでとうございます!!」と声をかけると、

「先生、私、幸せ。。。」と嚙みしめるように仰いました。

 何も言えず、私はウンと頷くだけでした。

もうすぐ桜の満開の季節がやってきます。桜の木を見ると、木の上で彼女が笑顔で花を天高く撒いている姿を見ることになるでしょうね。

令和六年 和暦弥生 新月

おもてなしの原点

お茶を一緒にしている友人が、昔、満月を愛でながら、自宅でお茶会をした時の話をしてくれたことがありました。

この話を聞いて、私は彼女のほんの一部しか見ていなかったと猛省しましたね。

 彼女は若くしてご主人を亡くし、ご主人と暮らしていた家を手放し小さなワンルームマンションで暮らしていました。
ベッドに腰をかけ、そこから見える小さなベランダ越しの満月をじっと見ていると心が洗われると言うのです。

 ある時、お姉さんが落ち込んでいたので気分転換に自宅に誘って、簡単な食事とお茶を点てて差し上げたのです。
 ベッドの前に小さな机を置くと床に座れるのは彼女だけで、お姉さんにはベッドに腰を掛けて食事をしてもらい、月が見ごろになった頃にベランダの方へ体を方向転換して月を愛でてもらい、その間に、お菓子を準備しお茶を点てたのです。
 「お姉さんの気持ちが少しでも晴れますように」と。

 この姉妹に、月が応援しないわけがありませんよね。

 月見の茶会と聞いた私は、てっきり、すすきや秋草をたっぷりと籠に生けて、丸餅を三宝に積み上げたものを床に飾り、ご馳走を頂くお茶会を想像していました。

 このような世界観は贅沢な時間で雑誌の世界のようで、彼女がそれをしていたらとって付けた感じがありました。しかし、友人は、彼女でしか出来ない世界観を作りだし、唯一無二の茶会を催しています。

 かっこいい!って、思いましたね。

友人のお茶会は、何よりも心がある。いつもの日常に相手を思う心をそっと添えるものがあります。

 満月を見るといつも彼女を思い出します。
 おもてなしの原点は、相手を思う心が種としてありますね。

令和六年 和暦睦月 新月

自分のできること

暮らしの中で、一服のお茶を通して人の輪が広がっていく実践をこれまでたくさん拝見してきました。
そこにはお茶を点てる方の心の余裕、慈愛に触れることとなります。
そして、いつも私に感動を与えてくれますね。


常日頃、物静かな友人の一服のお茶のお話を致します。
大学を卒業してから会社員の仕事をしながら週末は趣味の音楽や観劇鑑賞をして心の豊かさを大切に過ごしている女性です。
彼女は、どちらかというと奥手で何をするにも「お先にどうぞ」という姿勢で、
何を考えているのか一見よくわからないのですが、長くお付き合いすることで秘めた強い信念を持っていることに触れてきました。

ある時、彼女と「何か自分のできることで社会に関わりを創っていきたいね」と話題にしていたのですね。
その会話中も私は彼女に対して「社会に対してよい循環を創りたいと思っている人なのだ。自分の仕事、趣味にしか興味がないと思っていた私が恥ずかしいわ」と思ったことを記憶しています。

その一月後、彼女は「引っ越しすることにしたの」
その一月後には「家の近くに料理教室を見つけて通うことにしたの」
その次は「料理教室の先生が子供食堂を運営することになって、お手伝いをすることになったの」
と、奥手と思っていた友人がどんどん変化していく時期に遭遇していました。
今度は「料理の先生が、私が茶道をしている事を知って、子供食堂を運営する日に子供たちに茶道体験をしてほしいと依頼されたの」
「すごいじゃない!!!どうしたの?急に動き出したね!」
「そうなの、自分でもびっくりしているの?!」
「稽古場にたくさん茶筅があるから差し上げるからね。使ってね!」
「ありがとう!うれしい!」

しばらくして、「体験茶会で子供たちが楽しそうにお茶を点て、飲んでたわ。そして、料理教室の先生も喜んでおられ、私もとても楽しかったの。継続的に体験茶会もしていく感じ」
「よかったね」

子供たちが大人になった時に、「茶道を習ってみたい」や「どこかの機会で、臆せず堂々とお茶を頂くことができる」など、何かの一助になっていれたら幸せなことですね。

こうやって、大げさなことでなく、自分のできることで自分の周りの方へ一服のお茶を通して何か大切なものがつながっているのを感じています。日々、友人とも頻繁に連絡は取らずともお互いの人生を応援しあい、そして一服のお茶で活動している関係を誇りに思っています。

仲間たちと自分のできることで大切な事を繋げる活動が広がっています。

令和五年和暦長月満月

初めてのおもてなし

私が初めて、先生の稽古場以外でお茶のおもてなしをしたのは、
随分と昔のことで20代前半の頃かと記憶しています。

祖母の法事で、私がお茶を点てて、親戚の叔父さんや叔母さんにお茶のおもてなしをしてほしいと母からの依頼があったのです。

私「家は、茶室はないし、整った茶道具もないよ~、どうやってお茶を点てるの?」
母「ポットのお湯でいいじゃない。お茶碗もあっちこっちから集めてきたら数は揃うだろうし、洗って使えばいいじゃない」

私は、お茶は整った環境で点てもてなすものだと思いこんでいたことを気付かされ、母の言葉に電気が走った瞬間でした。

法事の当日は、ダイニングテーブルにポットの蓋を開け、そこに柄杓を入れて湯を汲みお茶を点てました。
長い法事が終わり、足をかばいながらダイニングテーブルに近づいて来る高齢の叔父さんに「お抹茶を飲みますか」と尋ねると、
「うれしいね~」と返事をもらい点ててみました。お稽古では先生が手直しをしてくださいますが、ここでは自分の判断で、不安ではありましたが、「どうぞ」と言って叔父さんの前に出しました。
すると叔父さんは「おいしいな~。比登美のお茶が飲めたから、叔父さんもそろそろ姉さんの方に行っても後悔ないな~、なぁ姉さん」と、お仏壇の方を向いて祖母に声をかけていました。

すると「なんや~、いいの飲んでるやないか~」と、足を撫でながら高齢の叔父さん、叔母さんが続々ダイニングテーブルに集まってきました。

母は台所で茶碗を清め、あるものを生かし、いやそれしか手立てがなかったのですが、母と二人三脚のおもてなしをして、人生で数回しか会ったことのない親戚とのやり取りに温かい時間を過ごしました。特別な会話があるわけではないけれど、一碗のお茶が何か大切なものを取り次いでくれているように思えましたね。

茶室を飛び出した私のお茶のおもてなしは、このように始まりました。

皆さんも大切な方へお茶を点ててみませんか。

令和五年 和暦文月満月

三の段「和歌と茶道」

2011年におもてなし講座をスタートし早12年も経ちました。
講座を続けることで多くの出会いがあり、
暮らしで一服のお茶を点て、大切な方をもてなす文化が広がってきたように思います。

講座を受講された方から素敵なお茶会のご報告が入るのですね。
その人らしい形でお茶会を催され、
大切な方たちとの集いに一服のお茶をもてなされています。
それらを皆さまと共有し、皆さまの一服の参考にしていただければと存じます。

また、2011年スタートした当初では思いもよらなかった三の段「和歌と茶道」にまで進み、
内容が深く広く、広がってまいりました。

千利休の師匠の一人である武野紹鴎は、室町末期の茶の湯者であり、
その前は当時歌学の大家である三条西実隆に就いて和歌を学んでいました。

その紹鴎が茶の湯に転身し、ある一定の価値観を築きあげたわけですから、
歌の心を茶の湯に散りばめられていることは想像するに難しくはないですね。

私も皆さんと一緒に学んでいく姿勢でおります。
この時間を大切に、少しでも茶道を深く、少しでも日本に触れる時間にして行き、
その一つ一つを日常の視点に織り交ぜながら、このブログを通して皆さんと響きあう時間となれば幸いです。

  令和五年 和暦水無月満月